やまよも写日誌No.11

都会の中の緑、大きな蝶々も、鳥も来ます。

こぼれた種でサフィニアも咲く季節になりました。

すぐそこに山手線ほか沢山の電車が行き交う線路があるのに、窓から見る景色は緑、緑、野生の花、花。

2005.7月某日

      

東京に帰ると新事務所前は緑の中に朝顔が咲き乱れて、夏になっていました。  野生の朝顔は、薄紙みたいに儚いのです。

おかぁは免疫出来ているから、ひかない、と勝手に決めていたのに、アメリカ風邪をひいていました。

毎年恒例の、真っ黒に日焼けした顔で、鼻たらしつつ元気に?ライブも終えました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

いつのまにか夏花・鉢満杯の季節!

 

 

 

 

緑濃い山の下は紺碧の海。

 

 

 

 

 

手入れされてきちんと咲く花と、自然に咲く花がバランス良く融合して

 

 

 

 

 

五月の頃のローズ・フェスタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

冗談ばかりの親に、学者の息子夫婦

 

 

 

 

 

 

 

 

うちの稼業家族全員がそうであるように昼、夜、夜中、

と、時間関係なく早朝から現場入りする、昼間リハーサルがある、

夜本番がある、他、おかぁの仕事は、それプラス徹夜で物を書く、校正する、

空いている時間は打ち合わせがどんどん入る、レッスンの生徒が来る、

空きの時間には主婦稼業、など時間無差別の日々なので、

時差16時間だろーがなんだろーが、

どこにいても何をしていてもその時間に対応する体質になってます。

徹夜しても寝貯めなど必要ないまま帰国、そのまま仕事にかかります。

そのペースは年を経るほど慣れて来て、機中でも時間勿体ないから映画観たり、

やまよも編集したり、読みたい本を読んだり、そんな事して遊んでいるから、

十数時間の空の旅なんて寝ずにアっという間に過ぎます。

           

発つ前に↑こんな状況だった工事中事務所が帰国したら↑な風にすっかり全貌を表していたので、そこで早速、雑用移動準備掃除至急仕事が山積みとなり、空き時間の全てを費やす作業増え、嬉しがりました

西海岸の強い日差しを浴びて、日焼け止めなど塗るどころか、

意識的に太陽目指して歩き回ったのですから、いい具合に日焼けして、

さらに、カンカン照りの中で花植え替え作業が、仕事合間のお楽しみになりました。

小学校の頃から、5月と言えば日焼けして土人顔のまま50年を過ぎ、

その野生肌のままステージに立ち、まぁ、頑丈な夏女なのでしょーか。

化粧水、乳液、のたぐいもほとんど縁なし、

ファンデーションなんて塗った事数えるほどしかなし、

それで生きて来た、不精な女の見本。

すみません。まっくろです。

おかぁが帰国するとすぐ、夏期休暇に入ったばかりの長男が帰国。

TV局国際報道部にいた長男は、今、大学で教鞭をとってます。

夏期休暇が長いのであちこち見聞旅行してます。 生徒は西洋東洋入り交じり、

日本人はたった一人と言う事ですが、何を教えているのかも

よく知りません、と言う呑気な母で。

ジャーナリズム? ふーん、何それ?と、おかぁは言ったらしいですが、

聞いても今まで忘れていました。 ひと足遅れて嫁さんもやって来ました。

仕事の合間を縫って長男家族と旅行に行く約束を以前にしていました。

おかぁは帰国早々ですが一年に一度の約束。

二台の車連なり、どんどん海岸線を走ります。

運転をしていると景色をゆったり見られないのが口惜しいけれど、

今回は案内役のおかぁ、白手袋の運転手に徹します。

うちから二時間余りで眼下に緑と海を見下ろす静岡県は熱海突端の

大好きな宿、ロイヤル・ウィングに到着。  

もう何十年も前、先代赤尾さんの時代から自然を生かした広大な庭を作って、

海、山、花、ここは、しかも温泉です!!

20年位前から山の中にハーブガーデンを作って、

それが少しずつ広がって行くのを毎年楽しみに見て来ました。

山は、梅桜の季節は薄桃色から濃い桃色までまだらピンクに染まり、

バラの五月は、段々畑の薔薇の坂道歩き、ひと月たてばもう夏花植え変え、

と、お客さまの目を楽しませるには大変な労力をかけているのでしょう。

今は深緑と断崖の庭の真下は海。 窓から見る海に花火も上がります。

これは去年のバラ

今年は5月のバラの季節に行かれなかったけれど、

夏にもバラ風呂がありました! 

薔薇の 花びらを浮かべたお湯の中に嫁の母と浸かりつつ、

嫁とは英語、嫁の母とはジェスチャーだけの対話。

日本語全く通じなくてもなーンにも問題ありません。

お月さまを見て、あ、明日も晴れるな…と。

翌日はハーブガーデンをゆっくり散歩。 登りはマイクロバスで数分、

上から山をゆっくり降りて来ます。

夏の緑は一段と深く、降りる毎にテーマがあるガーデンは、

押し花やポプリなどを作ってみる素材ある青空教室なども。

ハーブガーデンを降りきって、今度は海に向かって断崖絶壁を整備した、

レンガの階段、所々にある小さな展望テラスで真下のおだやかな夏の海を

眺めながらさらに降りて行くと、ホテル・ニューアカオの1Fの芝生の裏庭に

繋がり、そこからモーターボートに乗ってプライベイト・ビーチの湾を一周。

ビーチもガーデンも、モーターボートも、アカオのロビーで飲むお手前の抹茶も、

眼下の海を一望するサロンで飲むコーヒーなど飲み放題、それで温泉、

温泉!なの、で、宿泊代は日によって一万円代! なァんとも素晴らしいのです!

去年来た時には、アカオ内の写真コーナーで、

温泉上がりに貸衣装着て、冗談に

おかぁの還暦記念?写真撮りました! はははは。

おとうの足は素足、温泉あがりに靴下は持ってないし。

二人とも日焼けした上にふやけて、にやけてます!

貸衣装と撮影で二千円位だったかな?

 

 ←桂クンの足

桂クンもブカブカのエナメルの貸靴に湯上がりの素足!

と、言う具合に、ここはインドアでも遊べる場所なのでした!

今度皆さんも是非行ってみてね。( 回し者ではありません)

 

 

 

花壇の花も一部引っ越しを

 

 

 

 

 

 

 

 

 

大好きなワレモコウは花か実か?

 

 

 

断崖のテラス、この下は海です。 長男が、大学時代に見初めた可愛いお嫁さんの名は秋子。 日本語はできません。 おかぁとの会話も英語で。

 

 

 

 

 

仕事の合間にする散歩

 

 

 

 

果物の中で一番好きな物=スイカ!

 

 

 

 

波しぶきをかぶってモーターボートから降りる

 

 

 

 

湯上がりに口紅つければ馬子にも衣裳? わーいお嫁さんのドレス着てみた!

 

 

 

 

桂クンもついでに貸衣装にてミニ・アステァになってみた。ズボンもブカブカで裾は短い!

写真やさんのおじさんは、桂クンが舞台の振り付けもやる人だと知らないから、汗だくで一生懸命、写真ポーズをつけてくれる。 言われる通りのポーズを取るマジメな桂クンは、プライベイト乗りの時は照れくさそうで、おかしいのでした。

 

 

 

ダンボールの山が増えて行く

 

 

 

 

 

 

息子の作る料理、初試食!  写真は、食べかけでスミマセン。

 

 

 

 

 

 

近頃わざとヘンな顔した写真撮って喜んでいる桂クン、鼻に指をつっこんでる

 

 

 

 

六月末から仕事の合間にせっせせっせと、すぐに必要な書類、さまざまな資料、

あれもこれもと、新号棟に運び込んでいます。

数秒の場所への移動なので、仕事をしながらの合間の作業の積み重ね。

運び込んだ物は又、要所要所に納めて行かないと、次の作業にかかれません。

食事の時間になると必ず、家族から連絡が来ます。

「めしどうする?」一行メイルは長男より。 「今、どこそこでめし。来る?」などと。

たまに帰国の長男ですが、いつもバタバタの時なので、

ほとんど手料理が出来ない事が多く、毎年帰国の度に、

今度来た時こそ、あれもこれも作ってあげよう、などと思いつつ、

時間切れになるのですが、今回は約二ヶ月滞在出来るとか。

で、今回は比較的まめに合間に料理の楽しみもクリア。

秋子の両親も滞在していて、私の母や桂の友人、

夕食は常に7、8人分となる賑やかな夕食タイムが繰り返される夏になりました。

85歳のおかぁの母はうちから一分の場所で一人住まい。 

初孫伊織は祖母孝行で祖母をあちこち旅行に連れ出してくれます。

伊織が手料理を披露する、と言うので、

フーン? 料理出来るのぉ?…と、実は半信半疑でした。

でも大学時代、わざわざイギリスから国際電話をかけて来ては、

「虹鱒釣ったんだけどサ、どうやって食べたら美味しい?」などと聞いて来て、

小麦粉まぶしオリーブオイルで焼く、バターソースにレモンとパセリ、など

簡単に美味しく食わせる法など教えた事もあった事、思い出しました。

一時はインド・カリーにハマって、あらゆる香辛料をキッチンに並べていたり、

香港から超高級調味料理を土産に持ち帰り、うんちく説明聞いたものの、

伊織帰国後はどれがどれだったか解らなくなり、説明は中国漢字で読めず、

使用出来ぬままだった事もあったワ。 

彼が突然帰国しても、おかぁがいつも忙しい時期ばかり。

息子の手料理なんて想像もしなかったし、

料理が得意と言う話も聞いた事がなかったので手料理にありつけるなんて!

買い出しから帰って伊織は、素材も調味料も全部揃う町だから、

中国料理を作る、と告げなんと、ネイティブ台湾料理を

何種類も作ってくれてビックリ!

13、4年日本を離れていて、高校生の頃にたまに、

とても雑にお皿を洗ってくれたぐらいの記憶しかなく、

本の虫だったイメージの我が子が、仕事の合間に「夕食出来たよ」

と声をかけてくれるなんて!

初体験にしてやみつき。 うンまいンです!

八月の夕食は、時間許す日に親子で交代に手料理ごっことなって、

未知の調味料、油、食材が台所に揃ってしまいました。

息子も日常は忙しく、こんなに料理する暇はない、とお嫁さんの弁。

息子兄弟嫁と揃い子供達はあちこちつるんで出かけていました。

おかぁは寸暇を惜しんで一ミリづつの引っ越しで明け暮れた夏でした。

窓辺の緑も育成中

 

 

 

 

その辺の雑草も窓で育てばインテリア

 

 

 

 

嫁さんとおかぁ・アビニヨンにて

 

 

 

 

 

メイン料理はもう食べちゃって、写真は、残りばかり。

 

 

 

これを書いたのは九月の始めですが、色々な事に追いかけられて、UPできたのは十月に入ってしまいました。 暑い日の事を書いているのに、こんなに秋になってしまい、早く追いつこうと思いつつ、夏はおかぁにとって短かすぎ。 この夏が一年のうちで一番忙しい時期になりました。

 

   
   
      
  copyright: Shiny's Office inc. October.2005. Kyoko M