やまよも写日誌 No.10

倉庫の荷物までライラック色に

まるで合わせてある様に、薄紫やピンク

ライラック花盛りのパーク内は、

沿道仕切りのバーまでが薄紫色。

ライラックの香りに包まれて、

長い夏の夕方は少しづつ涼しくなります。

そこで

今回に限り、DAYLY YAMAYOMOの

題字も紫色系にしてみました。

人の大きさと比べるとこのライラックの大きさが判る!

六月はカリフォルニア・ライラックが花盛り。 June.2005 

あっと言う間によもやま話も10号です!

 

この花はハイビスカスの紫色?
午後のお茶をひとりでゆったりと

こんな色の消火栓もあり

 

 

ニューオリンズの窓並

 

 

 

流れているのかいないのか、普段は おっとりしているミシシッピー河

 

 

 

 

 

 

 

 

夕方の灯り、今はつかない

 

 

 

  

決壊した、ミシシッピーの堤防

ここで突然ですが、話は変わります。

急いで変わるしかないのです。

これを書いている今ハリケーン“カトリーナ”により壊滅した悲惨な情報が、

少しづつ伝えられて来ます。

国内外に係わらず天災が繰り返し生み出す災害になすすべもない事を

情けなく思い、いてもたってもいられない気持ちです。

少し前に大型台風を想定した避難訓練、救助訓練をした直後で、

予報が出て数日間、避難命令に従った移動が始まっていたのに、

一生に一度も出会う事がない様な、過去のデータを超えた天災の急襲、

日本の本州に匹敵する大きさの地域が飲み込まれたという事です。

こんな時に役に立つのがネットによる情報です。

http://www.cbsnews.com/ などで。

どうしたら良いのか“How to help”のコーナーに赤十字や教会の、

私たちから支援が出来る連絡先なども出てました。

ウィントン・マルサリスの救済キャンペーンのコーナーでは、

“ニューオリンズブルース”にも聞けるし、現地の最新Newsもチェックできます。

日本は今選挙で、それどころではない論調です。

対策の遅れも、起こりがちな略奪や暴動や人種の問題も全て、

上の人のせいにするのが常。上が誰に変わっても戦争、災害、経済危機、

全て何でも上が悪いと互いに言っているだけ、次を巡って選挙キャンペーンで忙しい日本です。

おとなしい日本人だって、私が幼児の頃のおぼろげな記憶では、

敗戦後数年たっても親を亡くした戦争孤児がガード下で集団になり、

拾いタバコを吸い、物乞いをし、スリが横行して、お腹が空けば店の物を略奪して食べ、

空き巣や強盗が氾濫して、

そんな時代を過ぎて来たのです。 衣食足りなければ人種は関係なく、パニックになり、

不平を言い、略奪してでも食べようとするのは、お猿の集団もひとだって同じ。 

そんな時代があって今がある事を忘れてはいけない、

そんな事より批判より、自分の両手で今、何が出来るか考えたいのです。

わたしは某TVのNews Showのゲストが、かの地の治安や人種差別、そんな事を理由に、

災害後の様子を冷やかに批判したのを観て、とても哀しく思いました。

忙しくて時間がなくても、だからこそネット上でも何かの救済に役に立てる事もあって、

国際網インターネットの利便さを、そんな時にこそ役に立てられるのが、

敗戦後のあんな子供時代を超えて大人になって来た人達の知恵のはず、と思いました。

普段は流れているのかいないのか判らない、けだるい流れのミシシッピー河。

街角で見事なタップを踊り稼いでいた子供達。

わたしの父もSP盤に残したセントルイス・ブルース。

ニューオリンズの地の哀しみが見える。

関東大震災の頃から知る限り昨今に至る迄、自然災害の中で、

回りに支えられつつひとりひとりの知恵と汗で乗り越えて来た今日。

ノアの箱船、あの大洪水の時代からずっと続いて来た災害、

そんな時、如何に人と人とが全てを越えて手を繋げるか、と

神が与えた、ひとへの課題だと思えてならないのです。2005.9.3

そして又これを書いている9月5日、東京に突然の集中豪雨の昨日、

義母の家が一瞬にして床上浸水30cmの報、

義父の部屋の作品達の行方は…!? 2005.9.5

 

 

元気だった頃のバーボンストリート/June'02.

 

 

 

         

街中の人がエンターティナーだった街

 

 

 

水没したストリート

 

 

 

 

 

 

 

 

 

壊滅し、今はないこの橋

 

 

 

 

 

 

陽光の有り難さも雨の有り難さも自然災害の後に身に染みます。

行ってみました。義父の残した書画も思い出の詰まったアルバムも

水に浸かってびっしょり重くなっていました。

義母は元気、ご近所の方の協力で排水作業は片付いていました。

また大型台風14号が上陸、九州上陸、被害情報が

続々届いています。

ある日突然襲って来る、どうにもならない災害は、ひとごとではない、

アルバムを乾かす事のほかに出来る事。あきらめない、行動できる人が行動する。

なぁんでも回りのひとびとの小さな事の積み重ね。2005.9.6

 

 

 

 

 

 

 

   

光りがあって影が活きるのですね。

影も時間で光りになる。

サンディエゴのマーケット

 

 

 

 

きょうこ宅庭からの風景

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ディズニー映画では、こんな花が歌い出します。 ホント、歌いだしそうな花がいっぱい。

 

 

 

 

 

サンタ・フェ駅構内

 

 

 

 

又、来てね! わーん。

 

 

 

けークンはずっとVTRしている

 

 

 

上着を着ててもまだ寒い…風邪?

6月のやまよも日誌から突然、編集をしている9月に、飛んでしまいました。

やまよも写日誌は、仕事から離れ楽しい事だけ書く様にしているものですから、

いつも世の中に何か起きると、不謹慎な気がして

沈黙してしまうのです。でも六月に戻らないと、7,8月と抜けてしまいます。

沢山の事をしながら、それでもやまよもはサンディエゴの六月に戻ります。

アナハイムから車で70分、サンディエゴ移動しました。2005.6月何日だっけ?

       

ピンクの建物が多いのです。階段のステップはモザイクタイルで可愛い

恭子ちゃん、シャイニーズ・オフィスに来た時は高校生。セーラー服を着て

ボーカルレッスンに来ていました。

とても澄んだ声で、始めはぶきっちょに歌いました。

ザ・シャイニーストッキングスの重要メンバーになってから成人式を迎えました。

カリフォルニアに赴任する彼の元にお嫁に行く時、

SSを辞めなければならない事に本人は長い間迷ったけど、送り出しました。

男の子と女の子の母になって、今再び、とても意欲的に音楽に燃えてます。

素晴らしい旦那さまもいつも応援してくれてます。

おかぁはいつも、「子育て終わってから何を始めても間に合うのヨ」と

言い続けています。

恭子ちゃんと再開し、おかぁの顔を見るなり、もう音楽の話を熱くしています。

引っ越しした新しい白いおうちを見せて貰って、

それから、おかぁのリクエストで、でか〜いホームマートに行きました。

日本のでか〜いホームマートも知ってますが、デカさがその比じゃない。

とりあえず電気スタンドの売り場の二列を歩いただけで、時間切れと言う広さ。

日本で買う四分の一の値段で気に入ったスタンドを三個購入、

手荷物で持って帰らなければ安く買った意味がない、と

ダンボール三箱抱えて目的ひとつ達成。

ホテルの窓より。  木のてっぺんは、下のプールに映ってゆれている。

 

サンディエゴの小さなラホヤの街。チェックインしてふと窓の外を見ると、

サルも垂直過ぎて上れないよな高い高いパームツリーが、空を射しています。

向かいの建物は8階建てくらい?  それよりも全然高い木。

まっすぐに延びてこの高さになる迄に何百年かかっているのだろう。

もし津波が来て倒れたらどうなるのだろ、と、コワイほど見事な木がプール脇にありました。

サンディエゴを去る時まで、ずっと恭子ちゃんは音楽の話をし続けました。

サンタ・フェ駅のの待合室でホットドッグを食べながら話し込み、

電車が見えなくなる迄、手を振っていた恭子ちゃんと別れて、

旅は最終地、ロスアンジェルスに向かいます。

Santa Fe 駅

電車は海岸線に沿って走ります。

波打ち際ギリギリの所を走るので、線路に波がかぶるのではないか、と言うほど。

台風の時はどうなのでしょ? と、心配になるほどです。

誰も泳いでいない海岸、誰もいない砂浜の家、

私達の乗った車両も他に誰もおらず、客席で車掌さんがパソコンに向かってインターネット。

コーヒーは飲み放題、ドライフルーツとヨーグルト、クラッカーにバターが配られて、

おやつなどしながら世界の車窓から気分。

窓が開かないのが口惜しい

西海岸は車がないと移動出来ない、と思いこんでいたけれど、

観光電車の様な素晴らしい足がある事を知り、カリフォルニア初電車体験でした。

ロスアンジェルスに戻り、皆がでかけてしまってから、体の節々が痛い事に気がつき、

悪寒がして頭痛がひどくなって、うーむ風邪がついに上陸したな、おかぁにも…

な、気分。 風邪薬を買いに行くのも面倒で葛根湯飲み、ホテル内のレストランにて

お楽しみひとり夕食。 のつもりだったけれど、又、付け合わせのてんこ盛りのポテト、

クラブハウスサンドウィッチの四分の三をお部屋にお持ち帰りの量の多さで

明日朝食に誰か食べるでしょ、とベッド脇に置いたまま寝てしまうのでした。

2005.6月某日***2005.9.7記

 

 

 

 

先ずは、もうこちらに住んで長いSS元メンバー、SSのHPを初めに立ち上げてくれた元管理人、もうひとりのきょうこチャン宅を訪ねました。

 

 

 

 

もうひとりのきょうこチャンJr.

 

 

                   

 

わわわ!

きゃ〜! この高さのパームツリー!

 

 

 

 

風邪も良くなった桂クン

 

 

 

 

 

線路に入って見送りが出来る

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  copyright: Shiny's Office inc. september.2005. Kyoko M